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防護巡洋艦・工作艦『明石』 [艦名ツーリング]

防護巡洋艦『明石』
竣工: 1899年3月30日
常備排水量: 2,755t
水線長: 90m
速力: 19.5kt
兵装: 40口径15.2cm砲 単装×2
     40口径12cm砲 単装×6
     47mm速射砲 単装×12
     45.7cm水中魚雷発射管×2
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防護巡洋艦は19世紀末から20世紀初頭にかけて各国海軍で建造された艦種で、役割は後世の軽巡洋艦にほぼ相当します。主任務は偵察や通商破壊、そして船団護衛。求められたのは広い作戦海域を縦横に駆け回る航海能力と航続力、さらに駆逐艦程度の敵なら撃破できる砲戦能力でした。また多数を配備して各方面に展開できるよう、コストの低減も重要視されました。

初代『明石』は須磨型の2番艦として横須賀造船廠で建造されました。初の国産防護巡洋艦『秋津洲』の縮小改良型という位置づけになります。
日清戦争には間に合わなかったものの、北清事変で初陣を飾り日露戦争でも各地で活躍。1904年末に旅順近海で触雷大破し修理を行っています。
第一次大戦に際しては青島攻略戦をはじめとしてインド洋、地中海まで足を伸ばし、戦後のシベリア出兵にも参加しました。
やがて老朽化も顕著となって二等巡洋艦から二等海防艦へ格下げされ、艦齢30年を超えた1930年に伊豆大島沖で急降下爆撃の実験標的とされて沈没しました。



工作艦『明石』
就役: 1939年7月31日
常備排水量: 10,500t
水線長: 155m
速力: 19.2kt
兵装: 12.7cm砲 連装×2
     25mm機銃 連装×2
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外洋海軍の任務の多くは、本土から遠く離れた地での活動です。戦闘で傷を負って補修を必要としたり、整備が必要になったりしてもその都度本土へ帰投する余裕はありません。
そこで、港湾や泊地で艦艇に横付けして補修・整備する工作艦という艦種が生まれました。
工作艦には高い戦闘力は求められず、日本海軍では旧式軍艦や民間船から改造されて使用されることが多かったのですが、当初から工作艦として建造された最初の(そして最後の)艦が『明石』です。

先代の防護巡洋艦『明石』が伊豆諸島で処分されてから7年後の1937年、マル2計画の一部として佐世保で建造開始され、1939年に竣工すると早速連合艦隊に配属されました。
甲板上に3基の大型クレーンを備え、艦内に17ある工場には本土の海軍工廠にも無かったドイツ製の工作機械が設置されました。非常に高い整備・補修能力を持ち、米海軍からは「最重要攻撃目標」とマークされていたそうです。
開戦後にパラオ、フィリピン、蘭印に進出して多くの艦の整備・補修に従事。1942年8月からはトラック諸島を本拠地としました。
1944年2月のトラック空襲で大破し、パラオへ脱出。しかし翌月3月10日にパラオで空襲に遭いついに大破着底して、日本海軍は南洋での補修能力を失いました。



艦名の由来は兵庫県の景勝地『明石の浦』
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白砂青松の景色は今も公園に残っています。海の向こうに見えるのは淡路島。
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越前松平家8万石の城下町でもあります。駅北口すぐにある明石城の入口にて。
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駅の南側は商店街が広がっており、特に『魚の棚(うぉんたな)』と呼ばれるエリアには海産物を扱う店がたくさん軒を連ね、土日のお昼時は観光客でごった返しています。
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こんな風に棚を広げ、商品を並べているので『魚の棚』。
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昼めしは『あかし多幸』で。
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新鮮な明石鯛を使った鯛茶漬け
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一晩タレに漬けた鯛に熱いお茶をかけて。
さらに明石といえば明石焼き! 地元の人は「卵焼き」と呼ぶらしいです。
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出し汁にからめていただきます。抹茶塩も合う。
お店のマスコット
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鯛焼きと明石焼きを持った招き猫。手作りかな?



★艦船踏破実績
21隻 166,456t

20隻突破!

出雲ツーリング その2 [ツーリング]

山陰道を東に1時間戻り、どじょうすくいの街・安来へ。
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日本画、特に横山大観のコレクションで有名な足立美術館に到着。

世界一とも称される日本庭園もこの美術館の売りです。
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美術作品陳列の合間に、さまざまな景色を楽しむことができます。
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こちらは茶室へ続く道
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苔と枯山水
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創立者は地元実業家の足立全康氏。
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「自然の木は山の斜面に対して斜めに生えている」ことを尊重し、あえて斜めのまま植えられています。
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背後の山並みを借景とし、庭がどこまでも続いているかのような錯覚さえしてしまう。
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鯉の遊ぶ池の向こうにも茶室。
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こんな遊び心も。
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和室の床の間の壁面を切り取ることで、庭の景色をそのまま絵画的に見せる「生きた掛軸」。

最後に雄大な白砂青松
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左側は女性的なアカマツ
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右側に男性的なクロマツ
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とのことですが、言われてみれば…という感じ。

順路の最後近くで見かけた、「生きた絵画」
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紅葉や雪の季節に行っても異なった楽しみがありそう。足立美術館、アクセスは悪いですが山陰随一の名所かもしれません!

装甲巡洋艦『出雲』 [艦名ツーリング]

装甲巡洋艦『出雲』
進水: 1900年9月25日
常備排水量: 9,750t
水線長: 122m
速力: 20kt
兵装: 20.3cm砲 連装×2
     15.2cm速射砲 単装×14
     8cm速射砲 単装×12
     47mm速射砲 単装×8
     45.7cm水中魚雷発射管×4
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「装甲巡洋艦」は20世紀初頭特有の艦種です。諸外国ではあくまで装甲を強化した巡洋艦という扱いで、主な任務は通商破壊や索敵、船団護衛でしたが、日本海軍では戦艦部隊の補助戦力として対艦攻撃力に重点を置いた設計を採用しました。これは日清戦争の戦訓に基づき、戦艦部隊が打撃を与え、巡洋艦部隊が逃さず追撃して撃沈する、というドクトリンで、日露戦争の日本海海戦で完成します。
『出雲』は六六艦隊第二期拡張計画の一艦としてアームストロング・ホイットワース社で建造され、日露戦争では上村彦之丞中将率いる上村艦隊(第2艦隊)の旗艦となりました。
1904年8月の蔚山沖海戦ではウラジオ艦隊の装甲巡洋艦『リューリック』を撃沈。同艦は対馬海峡で日本の艦船を多数撃沈していた宿敵でしたが、沈没の瞬間まで奮戦する姿に感銘を受けた日本艦隊は生存者の救助にあたりました。この救助活動は国内外で賞賛され、『上村将軍』という唱歌まで作られています。
上村艦隊は1905年5月の日本海海戦にも参加しました。バルチック艦隊旗艦『クニャージ・スヴォーロフ』の追撃を命じる東郷司令長官に対し、上村中将はスヴォーロフの舵機故障を見破り、命令を無視して敵戦艦部隊へ突入。結果的に挟撃する形となり、海戦の完全勝利に大きく貢献しました。

第一次大戦ではアメリカ西海岸、地中海マルタ島に派遣され、船団護衛任務に従事。大正期は練習艦となって遠洋航海を実施しました。

日中戦争・太平洋戦争の時期には第3艦隊(遣支艦隊)に所属して上海で活動。のちに対空兵装を強化しましたが外征に参加することはなく、瀬戸内海で練習艦として運用されました。1945年7月24日に呉軍港で米艦載機の空襲を受けて転覆着底、45年の長い艦歴を終えました。


艦名の由来はもちろん旧国名。
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最も出雲らしい地といえばやはり出雲大社です。
この地には古代から製鉄技術を発達させ日本海沿岸に強い影響力を持った国家が存在しました。やがて大和朝廷に服従しますが、この「国譲り」の交換条件として建立されたのが出雲大社だそうです。

1990年まで、山陰本線・出雲市駅からの支線『大社線』が大勢の参詣客を乗せ運行していました。終点の大社駅駅舎は純和風の重厚な設計で廃線後も保存され、近代産業化遺産に指定されています。
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★艦船踏破実績
19隻 153,201t

出雲ツーリング その1 [ツーリング]

昼間もだいぶ涼しくなり、いよいよシーズン到来!
ということで、日帰り隣県ツーリングに出かけてきました。岡山道、米子道、山陰道を乗り継いで
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出雲大社に到着!

出雲大社の不思議ポイント①
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普通の神社は鳥居から参道を登って本殿…だと思いますがここは下り坂。

出雲大社の不思議ポイント②
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参道の真ん中は神様の通り道として、明確に立入禁止になっています。「ど真ん中を通るのはよろしくない」ということは作法として知っていましたが、こんなはっきり区切られてるのは初めて見た。

拝殿へ
名物のハイパーネジネジ(大注連縄)。青空に映える。
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本殿はさらに奥にあります。
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出雲大社の不思議ポイント③
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参道の方(多くは南)を向くべき本殿が、西を向いている。参拝者は神様の横顔を拝むことになる。
裏側(東側)から
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少し離れた神楽殿
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ここにもジャンボネジネジが。小銭を投げてワラの間に入れる遊びが流行っていました。無理だろ。
巨大な日の丸が翻る。
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風が弱かったので、いい感じに広がる瞬間を待ってシャッターを切る。

祭神の大国主命が、波濤に乗って現れた「幸御魂」を迎える感動のシーン
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具現化しちゃうと、どう見てもキン●マなんだよなぁ…

帰り道に門前町を望む。
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この鳥居が最高地点なんですよね。


次回、山陰道を少し戻って芸術の秋編へ続く!

戦艦『土佐』 [艦名ツーリング]

戦艦『土佐』
進水: 1921年12月18日
常備排水量: 39,979t
水線長: 235m
速力: 26.5kt
兵装: 45口径41cm砲 連装×5
     50口径14cm砲 単装×20
     40口径7.6cm高角砲 単装×4
     61cm水上魚雷発射管×8
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『加賀』型戦艦の2番艦として三菱造船所長崎で起工、『長門』型と同じ41cm砲を10門搭載し、世界最強の攻撃力を持つ設計でした。しかし進水の直後にワシントン海軍軍縮条約が締結され、廃艦となることが決定します。
未成のまま海軍に引き渡された『土佐』は標的艦として使用されることになりました。機関未搭載のため、運用術練習艦『富士』(日露戦争時の主力艦)に曳航されて長崎から呉へ向かいます。
1924年6月から『土佐』の実験が開始されました。陸上からの砲撃や船体に固定した爆薬を用いて、船体防御と新型砲弾の研究が進められ、このとき得られたデータは後に九一式徹甲弾の開発に活用されています。
『土佐』最後の航海は1925年の2月でした。標的艦『摂津』(これもかつての戦艦)に曳航されて大分の佐伯港へ入港。自沈用設備を取付けて出港し、2月9日に高知県沖の島沖で自沈しました。

兵装や機関、煙突などの艤装が進められる前に廃艦となった『土佐』ですが、41cm連装砲塔3基の製作が進められていました。主を失った砲塔は対馬要塞と釜山要塞に1基ずつが運ばれ、要塞砲として活用されました。残る1基は横須賀で保管され、後に戦艦『長門』改装の際に利用されたそうです。


さて累計踏破トン数が10万トンを突破した艦名ツーリングですが、旧国名をルーツにする戦艦をどう扱うか悩んでいました。県庁所在地? 今も旧国名を残す自治体? 駅? 各国の一宮or護国神社?…
結局、「最もその国らしい場所」を都度判断すればよろしい、という文系らしい結論に至りました。趣味でそんなに律義になっても、ねぇ。
というわけで今回「最も土佐らしい」場所に独断と偏見で選ばれたのはここ
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高知市内にある若宮神社という小さな神社です。

ここは後に四国一円を武力統一する戦国大名・長宗我部元親が初陣の前に参詣し必勝を祈願した場所。
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左手を伸ばし、四国を我がものにせんとする逞しい銅像が建立されています。
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こんなキャンペーンも。
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1票投じてきました。


★艦船踏破実績
18隻 143,451t

高知ツーリング その3 [ツーリング]

すでに汗だく。足摺スカイラインの終点近くにあった『足摺テルメ』というホテルでひとっ風呂浴びました。
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地中海風のきれいな造作。国民宿舎のひとつだそうです。サウナ後の水風呂が少しぬるいのと、露天風呂が狭いのが少し残念ですが、海を見下ろす展望はなかなかのもの。

さっぱりしたら足摺岬を後にして、一路高知市…を通り過ぎて、香南市の赤岡という町へ。
この旅のメインイベント、『土佐赤岡絵金まつり』!
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絵金とは、幕末に土佐で活動した絵師・弘瀬金蔵の別名。土佐藩家老・桐間家の御用絵師に取り立てられましたが贋作事件に巻き込まれて失脚。高知城下を追放されて赤岡に移り住み、町絵師としての活動を開始します。特に歌舞伎の芝居絵屏風に傑作が数多く残されており、今でも毎年7月3週の週末には街頭で芝居絵屏風を披露する『絵金まつり』が開催されています。
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どんな絵かというと
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とにかく、愛憎入り乱れる歌舞伎を生々しく描いたエログロの嵐。
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『源平布引滝 松波検校琵琶の段』
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右の琵琶法師は実の娘が尋問に苦しむ中、自らの身分を悟られまいと苦悩しながら音曲を披露。

『伊達競阿国戯場 累』
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殺された姉の祟りで醜く変わり果てた女は、美しい遊女への嫉妬でついに狂う。

『花衣いろは縁起 鷲の段』
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大鷲に長男を奪われ狂乱する夫婦。

『蝶花形名歌島台 小坂部館』
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家督争いに決着を付けるべく、2人の少年に真剣を渡す。亡兄の忘れ形見には名刀を、自らの血を引く孫には鈍刀を…。

『忠心二度目清書 寺岡切腹』
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題材は忠臣蔵。仇討の成功と大石父子を報告し、位牌を差し出す。どう見ても男根ですが位牌です。こういうユーモアも絵金ならではの醍醐味。

『播州皿屋敷 鉄山下屋敷』
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井戸に捨てられたお菊が皿を「いちまい、にまい…」と数える有名な怪談です。絵はお菊が家老の兄弟に責め殺されるシーン。後方には怨霊と化したお菊が兄弟を祟り殺す姿が。異時同図法というやつです。

『義経千本桜 堀川館』
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鎌倉方の追手の大将、土佐の坊の首を引きちぎる武蔵坊弁慶。なんとパワフルな。


人情と情欲と暴力の入り乱れる世界!
絵金まつりを訪れるのは去年に続いて2回目ですが、この独特の雰囲気はたまりません。

給油艦『足摺』 [艦名ツーリング]

国道321号から足摺スカイラインで足摺岬を目指します。

途中にある白山洞門
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波風で自然にできた洞門としては日本一の大きさを誇るそうで、足湯付きの立派な展望台があります。
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坂を登って足摺岬に到着。
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ライダー大集合です!

給油艦『足摺』
就役: 1943年1月30日
基準排水量: 7,951t
水線長: 133m
速力: 16.0kt
兵装: 40口径12.7cm高角砲 連装×2
     25mm連装機銃×2
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三菱重工長崎で建造され、連合艦隊に配属。陸軍タンカーとも合同して船団を構成し、南方へ向かいます。1943年中はシンガポールと本土の間で軽質油輸送に従事し、明けて1944年にはボルネオ東岸の大油田バリクパパンへ。ここからダバオやサイパン島へ石油を輸送します。
スールー海を航行中の6月5日、米潜『パファー』の雷撃を受けて僚艦『高崎』とともに沈没しました。

足摺岬は四国最南端(厳密にはさらに南に陸地があるようですが)。
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太平洋に突き出した展望が素晴らしく、海の透明度も抜群。
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地元のヒーロー中浜(ジョン)万次郎の銅像がそびえています。
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★艦船踏破実績
17隻 103,472t

ついに10万t 突破!

高知ツーリング その2 [ツーリング]

初日の宿は大月町の『幡多郷 はたご』
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居酒屋の2階を客室にした民宿で、素泊り2,500円!
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夕食は1,500円! 地元の海の幸が満載でした。左端に見えるカブトガニみたいなやつは『タビエビ』という珍しいエビで、大きさの割に身が少ないですが甘くておいしい。

翌朝は、お店の大将に教えてもらった名所の柏島へ。
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落葉と苔だらけの山道を冷汗かきながら登り、展望台へ。海沿いの道が気持ちよさそうです。
海が真っ青!
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この透明度。
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ダイビングスポットとして有名らしく、準備体操をしているダイバーさんたちを横目に。

尾根に登る山道へ。
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断崖絶壁を見下ろす道を淡々と登ります。海にそそり立つ『観音岩』
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最高点から柏島全景。気温も上がってきて汗だく。
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高知最南端の足摺岬を目指します。
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国道321号は陽光まぶしい『サニーロード』。321でサニーってダジャレか。

幕末に漂流して渡米し、留学経験を活かして活躍したジョン万次郎の地元です。
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幕末の偉人がことごとくイケメン化されていた。
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竜串海岸
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海蝕と風蝕で作られた奇岩の数々。
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何だか生き物のような
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そしてここでも透明な海。
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駐車場の裏手にいい感じの廃墟がありました
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サンゴ博物館だったそうで。雑草の生命力とのギャップが良い。
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高知ツーリング その1 [ツーリング]

3連休!
かねてより念願の高知ツーリングに出かけました。

松山ICで高速を下りて、土佐街道(国道33号)を南下。
軍艦岩の異名を持つ巨岩。
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2014年3月にオープンしたばかりの道の駅『天空の郷さんさん』にて
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一気に標高を稼いで、四国カルストへ。
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曇り空でしたがこの解放感!
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放牧された牛が道沿いでくつろいでいます。
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四国カルストの道(高知県道383号)は距離こそ短いものの展望は最高。ゆっくり堪能しました。

国道197号で一気に宇和島へ到達したところでお昼。
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駅前付近で見つけた『かど屋』というお店で名物の鯛めしをいただきました。
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鯛の刺身とだし汁、そして卵の絡みが絶品。
エネルギー補充したら次の目的地へ。

梅雨空ぬって県内ツーリング [ツーリング]

晴れの国・岡山も梅雨真っ盛りです。常にどんより曇り空。しかも週末狙いすましたように雨が降る。
欲求不満が溜まってしょうがないので、曇りの予報を信じて県内の快走路をおさらいする小ツーリング。

まずは豪渓

高梁川本流から吉備中央町へさかのぼる県道57号です。空はばっちり灰色ですが、青葉は鮮やかでした。

岡山市内で買い物を済ませた後は、玉野へ出て海沿いの国道430号で帰ります。

運よくちょうど夕陽が撮れました。輝く海を眺めながらのんびりと流して・・・といきたいところですが、実は後ろから凶暴なトラックに煽られてヒヤヒヤしながらの撮影です。

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