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防護巡洋艦『浪速』 [艦名ツーリング]

防護巡洋艦『浪速』
就役: 1886年2月15日
基準排水量: 3,709t
水線長: 91.4m
速力: 18kt
兵装: クルップ 35口径26cm単装砲×2
       同  35口径15cm単装砲×6
     (のち、アームストロング 45口径15.2cm単装速射砲×8 に換装)
     オチキス 43口径4.7cm単装機砲×6
     ノルデンフェルド 25mm4連装機関砲×10
     ノルデンフェルド 11mm10連装機関砲×4
     35.6cm魚雷発射管×4
Japanese_cruiser_Naniwa_in_1887.jpg

英国ニューキャッスルのロー・ウォーカー造船所で建造され、日本海軍最初の防護巡洋艦として就役しました。初代艦長はのちの連合艦隊司令長官・伊藤祐亨大佐。
『浪速』が歴史に名を残したのは、東郷平八郎が艦長を務めた日清戦争劈頭の豊島沖海戦です。仁川へ清国兵1,100名を輸送中だった商船『高陞号』を捕捉。随航を命じると英国人の船長はこれを承諾しました。ところが高陞号艦内の清国兵は紛糾し、船長以下の船員を脅迫し始めます。2時間余りの交渉の末、拿捕を不可能と判断した東郷艦長は撃沈を決意。雷撃、砲撃が開始され高陞号は沈没しました。
英国商船旗を掲げた高陞号の撃沈は国際社会に大きな反響を呼び、英国世論も一時反日ムードが盛り上がりました。しかし東郷艦長の判断は国際法に則った正当なものだったことが明らかとなり、逆に天津条約に違反して朝鮮へ大兵を集結中だった清国のイメージを下げる結果となります。
10年後の日露戦争でも仁川沖海戦、蔚山沖海戦・日本海海戦に参加しました。
1912年6月、北千島へ測量機材を輸送中に得撫島沖で座礁し沈没。


艦名は大阪の古名『浪速』から。最もそれらしいスポットは大阪市浪速区の新世界でしょう。
DSC_2635.JPG
野球がまさかの12回延長になり、通天閣に着いたのは深夜12時頃。眠気との戦いになりました。



★艦船踏破実績
14隻 93,815t
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