SSブログ
艦名ツーリング ブログトップ
- | 次の10件

砲艦『伏見』 [艦名ツーリング]

京都滋賀の旅は砲艦の由来をたどる旅でもありました。

砲艦『伏見』(初代)
竣工: 1906年10月1日
基準排水量: 150t
水線長: 48.7m
速力: 14.0kt
兵装: 6cm単装砲×2
     機銃×4
IJN_gunboat_Fushimi(I)_1912.jpg

初代『伏見』は中国長江流域の権益確保のために建造され、1903年に英国ヤーロー造船所で完成。解体して上海へ運ばれました。上海へ出張した川崎造船所により組立てられ、日露戦争後の1906年に就役します。
0.69mという浅い吃水を活かし、1911年には日本の軍艦で初めて重慶まで遡上しています。
上海や長江方面の警備任務についたのち1935年に除籍され、上海で解体されました。


砲艦『伏見』(2代)
竣工: 1939年7月15日
基準排水量: 304t
水線長: 50.3m
速力: 17.0kt
兵装: 短8cm単装高角砲×1
     25mm連装機銃×1
Japanese_gunboat_Fushimi_1939.jpg

先代の引退から5年も経たないうちに2代目が登場します。大きさはほぼ変わりませんが排水量が倍増。1930年代に装備近代化を大幅に進めた中国の武装組織への対抗策として、攻防ともに強化されたのです。
日中戦争の長江遡行作戦に参加し、1944年11月26日に安慶で爆撃を受けて大破着底。
敗戦後は中華民国軍に接収されて名を『江鳳』と改め、さらに共産党軍の手に渡りました。


艦名がとられた伏見は京都南郊の地名です。今回は早朝の伏見稲荷大社を訪ねました。
DSC_0382.JPG

千本鳥居が有名。
DSC_0328.JPG
大きさにそれぞれ建立年月日と寄進者名(企業・個人)が刻まれています。知ってる企業を探すのも面白いかも。古いものでも平成一桁くらいでしたが、どんどん新しい鳥居と入れ替わってるんでしょうかね。

お稲荷さんなので狐の像があちこちにあります。
DSC_0371.JPG
こちらは本殿横の立派な銅像。

山全体が境内なので、さまざまな景色を楽しむことができました。
DSC_0346.JPG
朝は観光客も少なくオススメです。深夜というさらに通な楽しみ方もあるようですが…

給油艦『速吸』 [艦名ツーリング]

艦名ツーリング、栄えある第一弾は『速吸(はやすい)』です。
何それ知らない、と逃げないで。私もできることなら『大和』『赤城』といった有名どころから始められたらよかったんですが、まぁ地理的な事情というやつがあってジミ艦からのスタートです。

給油艦『速吸』
竣工: 1944年4月24日
基準排水量: 18,300t
水線長: 157.3m
速力: 16.5kt
兵装: 12.7mm連装高角砲×2
     25mm 3連装機銃×2
     25mm 連装機銃×1
搭載機: 艦上攻撃機8機

当初は『風早』型給油艦として建造される予定でしたが、ミッドウェイにて正規空母4隻を失ったショックで計画が大きく変更されます。対潜哨戒能力として搭載予定だった水上機を艦上攻撃機(流星)に切替え、空母のお手伝いができる攻撃的なタンカーとして建造されたのです。

竣工直後に潜水艦伊155と接触事故を起こしたため出撃は遅れ、初陣は1944年6月のマリアナ沖海戦となりました。第一補給部隊の事実上の指揮官として行動した『速吸』は米軍機の空襲に遭って艦橋に損傷を受け、呉に回航されて修理を実施します。
同年8月に『速吸』は戦列に復帰。フィリピン防衛に向かう陸軍部隊を乗せた輸送船や南方の石油を積込みに行くタンカーとともに『ヒ71船団』を結成しました。高速輸送船と護衛空母を集めた過去最大級の輸送船団でしたが、フィリピン・ルソン島の沖で米潜水艦の哨戒網にかかってしまいます。
タンカー『永洋丸』が被雷したのを皮切りに、空母『大鷹』、客船『帝亜丸』、タンカー『帝洋丸』が相次いで撃沈。悪天候もあり船団は大混乱に陥り、各艦全速で退避行動に移ります。
8月19日の深夜2時頃、米潜『ブルー・フィッシュ』の放った魚雷2本が『速吸』に命中しました。5時間後、航行を停止した『速吸』にさらに3本の魚雷が命中。これがトドメとなりついに沈没しました。
Japanese_fleet_oiler_Hayasui_1944.jpg
沈みゆく『速吸』を『ブルー・フィッシュ』が潜望鏡越しにとらえた写真。『速吸』の現存写真ではこれが唯一のもの。

模型はフロッグフット社から1/700のレジンキットが発売されています。
DSC_0474.JPG
『艦船模型スペシャル』2013秋号で特集記事あり。

わざわざ射出機まで装備して大いに期待された『航空給油艦』ですが、計画通りの運用は結局実施されませんでした。日本海軍にありがちな、アイデアが先行して実態追いつかずのパターン。


さて、艦名の由来となったのは九州と四国を隔てる『速吸瀬戸』です。
DSC_0191.JPG
愛媛県佐田岬から、遥かに九州を望みます。潮流が速いのか、白い波頭が常に立っていました。
この辺りはアジとサバの好漁場で、大分県佐賀関で水揚げされるものは「関アジ」「関サバ」と呼ばれて高級魚だそうです。愛媛県三崎港の水揚げは「岬(はな)アジ」「岬サバ」と呼ばれて比較的安価。でも美味しかったですよ!

佐田岬を訪れた日も、ひっきりなしに船が通っていました。
DSC_0192.JPG
現在も重要な航路なんですね。
なお、海上自衛隊の掃海母艦『ぶんご』も、この豊後水道に由来しています。

艦名の地を巡る [艦名ツーリング]

ミリタリーは物心ついてからの趣味で、いい年してプラモデルを一所懸命作ったりもしています(詳しくは別ブログにて)。
DSC_0018.JPG
しかし天気のいい休日、部屋にこもって工作三昧もいかがなものか。
ということで


ツーリング企画「旧日本海軍艦艇 由来の地を巡る!」


旧日本海軍の艦艇はさまざまな基準で命名されました。

戦艦 …旧国名(大和、長門)
空母 …鳥や龍に関連した造語(飛龍、翔鶴)
重巡洋艦 …山の名(妙高、高雄)
軽巡洋艦 …川の名(天龍、長良)
駆逐艦 …気象に関連した語(吹雪、陽炎)
海防艦 …島の名

中でも多いのが、地名に由来するものです。
艦名に用いられた地には古来から人気のある景勝地や篤い信仰を集めた聖地が多く、旅の目的地にするにはうってつけです。また、幅広い艦種で見ると津々浦々に散らばっています。建艦は多額の国費を割く大事業であるため、乗組員のみならず広く国民の愛着を得られるように、という配慮ではないでしょうか。

艦名ゆかりの地をバイクで巡ることで日本各地の魅力ある風景に触れつつ、活躍奮闘した各艦を偲びたいと思います。
- | 次の10件 艦名ツーリング ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。