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戦艦『土佐』 [艦名ツーリング]

戦艦『土佐』
進水: 1921年12月18日
常備排水量: 39,979t
水線長: 235m
速力: 26.5kt
兵装: 45口径41cm砲 連装×5
     50口径14cm砲 単装×20
     40口径7.6cm高角砲 単装×4
     61cm水上魚雷発射管×8
Japanese_battleship_Tosa.jpg

『加賀』型戦艦の2番艦として三菱造船所長崎で起工、『長門』型と同じ41cm砲を10門搭載し、世界最強の攻撃力を持つ設計でした。しかし進水の直後にワシントン海軍軍縮条約が締結され、廃艦となることが決定します。
未成のまま海軍に引き渡された『土佐』は標的艦として使用されることになりました。機関未搭載のため、運用術練習艦『富士』(日露戦争時の主力艦)に曳航されて長崎から呉へ向かいます。
1924年6月から『土佐』の実験が開始されました。陸上からの砲撃や船体に固定した爆薬を用いて、船体防御と新型砲弾の研究が進められ、このとき得られたデータは後に九一式徹甲弾の開発に活用されています。
『土佐』最後の航海は1925年の2月でした。標的艦『摂津』(これもかつての戦艦)に曳航されて大分の佐伯港へ入港。自沈用設備を取付けて出港し、2月9日に高知県沖の島沖で自沈しました。

兵装や機関、煙突などの艤装が進められる前に廃艦となった『土佐』ですが、41cm連装砲塔3基の製作が進められていました。主を失った砲塔は対馬要塞と釜山要塞に1基ずつが運ばれ、要塞砲として活用されました。残る1基は横須賀で保管され、後に戦艦『長門』改装の際に利用されたそうです。


さて累計踏破トン数が10万トンを突破した艦名ツーリングですが、旧国名をルーツにする戦艦をどう扱うか悩んでいました。県庁所在地? 今も旧国名を残す自治体? 駅? 各国の一宮or護国神社?…
結局、「最もその国らしい場所」を都度判断すればよろしい、という文系らしい結論に至りました。趣味でそんなに律義になっても、ねぇ。
というわけで今回「最も土佐らしい」場所に独断と偏見で選ばれたのはここ
DSC_3300.JPG
高知市内にある若宮神社という小さな神社です。

ここは後に四国一円を武力統一する戦国大名・長宗我部元親が初陣の前に参詣し必勝を祈願した場所。
DSC_3313.JPG
左手を伸ばし、四国を我がものにせんとする逞しい銅像が建立されています。
DSC_3309.JPG
こんなキャンペーンも。
DSC_3301.JPG
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★艦船踏破実績
18隻 143,451t

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