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装甲巡洋艦『出雲』 [艦名ツーリング]

装甲巡洋艦『出雲』
進水: 1900年9月25日
常備排水量: 9,750t
水線長: 122m
速力: 20kt
兵装: 20.3cm砲 連装×2
     15.2cm速射砲 単装×14
     8cm速射砲 単装×12
     47mm速射砲 単装×8
     45.7cm水中魚雷発射管×4
Japanese_cruiser_Izumo_in_Shanghai.jpg

「装甲巡洋艦」は20世紀初頭特有の艦種です。諸外国ではあくまで装甲を強化した巡洋艦という扱いで、主な任務は通商破壊や索敵、船団護衛でしたが、日本海軍では戦艦部隊の補助戦力として対艦攻撃力に重点を置いた設計を採用しました。これは日清戦争の戦訓に基づき、戦艦部隊が打撃を与え、巡洋艦部隊が逃さず追撃して撃沈する、というドクトリンで、日露戦争の日本海海戦で完成します。
『出雲』は六六艦隊第二期拡張計画の一艦としてアームストロング・ホイットワース社で建造され、日露戦争では上村彦之丞中将率いる上村艦隊(第2艦隊)の旗艦となりました。
1904年8月の蔚山沖海戦ではウラジオ艦隊の装甲巡洋艦『リューリック』を撃沈。同艦は対馬海峡で日本の艦船を多数撃沈していた宿敵でしたが、沈没の瞬間まで奮戦する姿に感銘を受けた日本艦隊は生存者の救助にあたりました。この救助活動は国内外で賞賛され、『上村将軍』という唱歌まで作られています。
上村艦隊は1905年5月の日本海海戦にも参加しました。バルチック艦隊旗艦『クニャージ・スヴォーロフ』の追撃を命じる東郷司令長官に対し、上村中将はスヴォーロフの舵機故障を見破り、命令を無視して敵戦艦部隊へ突入。結果的に挟撃する形となり、海戦の完全勝利に大きく貢献しました。

第一次大戦ではアメリカ西海岸、地中海マルタ島に派遣され、船団護衛任務に従事。大正期は練習艦となって遠洋航海を実施しました。

日中戦争・太平洋戦争の時期には第3艦隊(遣支艦隊)に所属して上海で活動。のちに対空兵装を強化しましたが外征に参加することはなく、瀬戸内海で練習艦として運用されました。1945年7月24日に呉軍港で米艦載機の空襲を受けて転覆着底、45年の長い艦歴を終えました。


艦名の由来はもちろん旧国名。
DSC_3754.JPG
最も出雲らしい地といえばやはり出雲大社です。
この地には古代から製鉄技術を発達させ日本海沿岸に強い影響力を持った国家が存在しました。やがて大和朝廷に服従しますが、この「国譲り」の交換条件として建立されたのが出雲大社だそうです。

1990年まで、山陰本線・出雲市駅からの支線『大社線』が大勢の参詣客を乗せ運行していました。終点の大社駅駅舎は純和風の重厚な設計で廃線後も保存され、近代産業化遺産に指定されています。
DSC_3756.JPG


★艦船踏破実績
19隻 153,201t
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