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女子プロ野球@姫路 [ツーリング]

前から一度見てみたい、と思っていた女子プロ野球の試合が隣県姫路で開催されるということで、遠征。
昼食はもちろん姫路大手前通りの『夢乃蕎麦』
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蕎麦におでんをプラス
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姫路のおでんは生姜醤油をつけていただくそうです。これがなかなかいける。
日本酒飲みたい!けど我慢。

手柄山公園内の姫路球場へ到着。第2試合のディオーネvsレイアを観戦しました。
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2014年春に改修完了したばかりというピカピカの球場です。
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内野スタンドも快適
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始球式には格闘家の角田信朗さんが登場。
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重い球を放っていました。
角田さんはこの後スタジアムアナウンスも担当。K-1風に選手を紹介するオマケ付き。

女子プロ野球の感想。
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お客さんの数は四国アイランドリーグより少し多いかという程度ですが場内放送や私設応援団のおかげで盛り上がりはかなり上です。プレーはやはり女子ということで、130km/hを超える速球や柵越えのホームランはほぼ期待できません。守備のフィールディングや連携は見ごたえ十分。選手の声出しが聞こえやすく、一緒に守っているかのように感情移入できます。
試合はディオーネの劇的な逆転勝ち。
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スタンド前でも整列・礼をしておしまいかと思いきや
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突如球団歌に合わせて踊り出す選手たち!
球団チアがいなけりゃ選手が踊ればいーじゃん、という心意気。最高です。また見に行きたい。


試合終了後のおまけ。
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角田信朗師匠にサインをいただきました! これを着て闘志みなぎる安全運転を。

海防艦『羽節』 敷設艇『粟島』 [艦名ツーリング]

この週末は梅雨の晴れ間というやつでしょうか、焼けつくようなピーカンでした。この機会に近隣の艦名スポットを制覇すべし!ということで香川県へ。

丸亀のうどん屋『綿谷』でいつものように朝食を摂った後は、フェリーで広島へ。
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といっても広島県まで渡ったわけではなく、香川県丸亀市に属する広島という島。
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ややこしいので、「さぬき広島」と呼び分けたりしているみたいです。

上陸するといきなり朽ちたバスのお出迎え
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良い朽ち具合ですね~
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海防艦『羽節』
就役: 1945年1月10日
基準排水量: 940t
水線長: 78.8m
速力: 19.5kt
兵装: 45口径12cm高角砲 連装×1 単装×1
     25mm三連装機銃2基
     九四式爆雷投射機2基
     三式爆雷投射機16基
     爆雷投下軌条2基
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1944年から45年にかけて20隻が就役した鵜来型海防艦の1隻。三井造船玉野造船所で完成し。終戦時は巨済島で残存。特別輸送艦となり復員輸送に従事。その役割を終えた1947年には賠償艦として米国に引き渡され日本国内で解体されました。

艦名の由来は、広島のすぐ南にある『羽節岩』という岩礁。
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かすかに見える灯台が築かれたのは明治28年というから日清戦争の頃。ここを通過する艦船は、羽節岩を境に左側通行するよう定められているそうです。

一周1時間ほどの小さな島です。
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フェリーが来るまで、集落のはずれにあった神社で待つことに。
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なかなか荒れています。
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汗かきながら登ると立派な石垣
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木陰で休憩…DSC_2772.JPG
満面笑顔のお地蔵さん
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フェリーの時間が来た!ので丸亀へ戻ります。
少し遅めの昼食は名物骨付鶏。『一鶴』でいただきます!
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もちろんノンアルです!

さぬき浜街道を西へ、紫雲出(しうんで)山へ到着。
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もう紫陽花の季節なんですね。紫陽花は桜のようにパッと散らず、だんだん色あせていくところが少し悲しい。


敷設艇『粟島』
進水: 1945年7月26日
基準排水量: 766t
水線長: 74.5m
速力: 19.5kt
兵装: 五式40mm単装機関砲×2
     25mm連装機銃×3
      同単装×4
     二式爆雷36個
     (もしくは九三式機雷120個)
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神島型敷設艇の2番艦。終戦間際に進水しましたが間に合わず、明けて1946年4月に特別輸送艦として竣工しました。羽節と同じく復員輸送に従事したのち、1947年に中国・青島で米国に引き渡されました。

由来になったのは紫雲出山の麓に見下ろせる粟島。
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フェリーもあったのですが時間が合わず、今回上陸は見送り。


★艦船踏破実績
16隻 95,521t

防護巡洋艦『浪速』 [艦名ツーリング]

防護巡洋艦『浪速』
就役: 1886年2月15日
基準排水量: 3,709t
水線長: 91.4m
速力: 18kt
兵装: クルップ 35口径26cm単装砲×2
       同  35口径15cm単装砲×6
     (のち、アームストロング 45口径15.2cm単装速射砲×8 に換装)
     オチキス 43口径4.7cm単装機砲×6
     ノルデンフェルド 25mm4連装機関砲×10
     ノルデンフェルド 11mm10連装機関砲×4
     35.6cm魚雷発射管×4
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英国ニューキャッスルのロー・ウォーカー造船所で建造され、日本海軍最初の防護巡洋艦として就役しました。初代艦長はのちの連合艦隊司令長官・伊藤祐亨大佐。
『浪速』が歴史に名を残したのは、東郷平八郎が艦長を務めた日清戦争劈頭の豊島沖海戦です。仁川へ清国兵1,100名を輸送中だった商船『高陞号』を捕捉。随航を命じると英国人の船長はこれを承諾しました。ところが高陞号艦内の清国兵は紛糾し、船長以下の船員を脅迫し始めます。2時間余りの交渉の末、拿捕を不可能と判断した東郷艦長は撃沈を決意。雷撃、砲撃が開始され高陞号は沈没しました。
英国商船旗を掲げた高陞号の撃沈は国際社会に大きな反響を呼び、英国世論も一時反日ムードが盛り上がりました。しかし東郷艦長の判断は国際法に則った正当なものだったことが明らかとなり、逆に天津条約に違反して朝鮮へ大兵を集結中だった清国のイメージを下げる結果となります。
10年後の日露戦争でも仁川沖海戦、蔚山沖海戦・日本海海戦に参加しました。
1912年6月、北千島へ測量機材を輸送中に得撫島沖で座礁し沈没。


艦名は大阪の古名『浪速』から。最もそれらしいスポットは大阪市浪速区の新世界でしょう。
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野球がまさかの12回延長になり、通天閣に着いたのは深夜12時頃。眠気との戦いになりました。



★艦船踏破実績
14隻 93,815t

首位決戦 OSAKA CLASSIC [ツーリング]

首位のホークスと0.5ゲーム差で迎えた首位決戦。しかもこの週末はそれぞれ近鉄バファローズ・南海ホークスのユニフォームを着て戦う年に一度の「OSAKA CLASSIC」これは行くっきゃない!

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というわけで心のふるさと、京セラドーム大阪へ

ジェット風船も今日は近鉄カラーの赤
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ホークスはいつも通りの黄色でした。
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ここは南海カラーの緑にしてほしかった! グッズやフード・ドリンクまで執拗に「赤×緑」の対決ムードを盛り上げていただけにこれはいただけません。次回以降の改善を望む。

オリックス:ディクソン、ソフトバンク:中田賢で始まった試合はしびれる投手戦となりました。押出し四球で先制を許すも、7回に坂口のソロで追いつき両チーム0行進。
12回表を0点に抑え、負けが無くなって迎えた12回ウラの攻撃
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無死2、3塁から伊藤光の打球はライトへ!
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これがサヨナラの犠牲フライとなり試合終了。オリックスは5/3以来の首位に返り咲き!
この日のうちに倉敷へ帰るつもりでしたが、5時間の総力戦でヘトヘトに疲れました…。
深夜の通天閣で写真を撮ったりして
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住之江公園の横にある『スパスミノエ』で風呂に入り、定宿のネットカフェで仮眠をとって翌朝帰宅。さすがに疲れた。

重巡洋艦『加古』 [艦名ツーリング]

重巡洋艦『加古』
就役: 1926年7月20日
基準排水量: 8,700t
水線長: 185.2m
速力: 33kt
兵装: 50口径20.3cm連装砲×3
     45口径12.7cm単装高角砲×4
     61cm4連装魚雷発射管×2
(要目は1937年近代化改装後)
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『加古』は古鷹型重巡洋艦の2番艦で、三菱神戸造船所にて1922年に起工され、4年かかって建造されました。1936年から翌年にかけて近代化改修を施し、バルジの追加、機関換装、水雷兵装の削減と対空兵装の増備がなされました。
太平洋戦争では開戦劈頭のグアム島、ウェーク島、ならびにラバウル島の攻略戦に参加。
1942年8月8日の第一次ソロモン海戦では五藤存知少将指揮の第6戦隊に所属し、高い夜戦能力を発揮して米重巡『クインシー』『アストリア』『ヴィンセンス』、豪重巡『キャンベラ』等の撃沈に貢献しました。
ところがこの大勝利からの帰路、味方制空圏内に入り安心したところを米潜『S-44』に捕捉され、3本の魚雷が命中。瞬く間に転覆、沈没してしまいました。


艦名の由来は兵庫県の中央を縦断する加古川。
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日本海軍の重巡洋艦(一等巡洋艦)は山岳の名を付けられるのが慣例ですが、当初『加古』は川内型軽巡洋艦の1隻として建造される予定だったため、例外的に川の名がつけられています。



★艦船踏破実績
13隻 90,106t

航空母艦『阿蘇』 [艦名ツーリング]

航空母艦『阿蘇』
進水: 1944年11月1日
基準排水量: 17,260t
水線長: 227.4m
速力: 32kt
兵装: 40口径12.7cm連装高角砲×6
     25mm3連装機銃×21
     12cm30連装噴進砲×6
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年始の九州ツーリングからの最後の艦は未成空母『阿蘇』です。
雲竜型の5番艦として建造着手され、1944年11月に進水。しかしその直前のレイテ沖海戦で日本海軍の航空部隊は壊滅的被害を受けており、もはや組織的な作戦能力を失っていました。既存艦船の整備修理に資材と労働力を優先したこともあり、『阿蘇』は進水直後、進捗60%の段階で工事中止が決定されました。
艤装工事もされず、艦を動かす燃料も不足した状態で呉港外の倉橋島に係留されていましたが、1945年7月には特攻兵器『さくら弾』の試験に供されることとなりました。成形炸薬を使用した『さくら弾』による損害は軽微でしたが、このときの浸水により徐々に傾斜しついに着底し敗戦を迎えました。
翌1946年12月から浮揚解体作業が始まり、1947年4月に完了しています。


火の山トンネル入口にて
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★艦船踏破実績
12隻 81,406t

装甲巡洋艦『阿蘇』 [艦名ツーリング]

装甲巡洋艦『阿蘇』
竣工: 1902年12月
基準排水量: 7,726t
水線長: 135.6m
速力: 21kt
兵装: 45口径20.3cm単装速射砲×2
     45口径15.2cm単装速射砲×8
     7.6cm単装速射砲×16
     45.7cm魚雷発射管×2
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元々はロシア海軍の巡洋艦『バヤーン』です。フランスはラ・セーヌの造船所で建造され、太平洋艦隊に編入されました。
日露戦争中の1904年7月、旅順港外で触雷し損傷。12月に日本軍の陸上砲撃を受けて大破着底します。
明けて1905年の6月に浮揚され、8月には戦利艦として日本海軍に編入されました。舞鶴へ回航し3年かけて修理・改造を行います。1920年には一等巡洋艦から敷設艦に類別変更。主砲塔を撤去しました。第一次大戦中やシベリア出兵に際しては日本近海へ出動。1931年に除籍され、翌1932年に標的艦として東京湾外で処分されました。


艦名の由来はもちろん熊本県の阿蘇山。
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熊本市内から県道を東へ。俵山峠を越えるルートでカルデラに入りました。雄大な地勢と一面の草地は素晴らしい。ツーリングマップル表紙写真の地も巡礼することができました。
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次回は大分県方面から行ってみたい。



★艦船踏破実績
11隻 64,146t

給油艦『野間』 [艦名ツーリング]

給油艦『野間』
竣工: 1919年5月28日
基準排水量: 11,680t
水線長: 121.9m
速力: 12.6kt
兵装: 50口径3年式14cm単装砲×2
     40口径3年式8cm単装高角砲×2
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1919年に座礁沈没した日本海軍最初のタンカー『志自岐』の代艦です。第一次大戦中に際し英国で建造されていた『War Wazir ウォー・ウォーディア』を買収して就役させました。北米やボルネオ方面からの原油輸入に従事しました。
後継である襟裳型給油艦の就役もあり、1928年に除籍されて飯野商事(現在の飯野海運)に払い下げられました。播磨造船所にて改装の後、再び北米からの重油輸送などに従事しました。
1933年にロサンゼルス沖で荒天のため座礁し沈没。


由来となったのは鹿児島県野間半島最西端の野間岬。
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南さつま市街から岬へは国道226号で向かいます。途中からは海上の断崖を走るスリリングな道。大きな橋梁が建設中だったので、改めて訪れると全く違う景色になっているかもしれません。





★艦船踏破実績
10隻 56,420t

下道で神戸を目指す [ツーリング]

最近高速を使っての無慈悲な弾丸ツーリングが続いたので、今回は一般道でのんびり行きます。
岡山ブルーラインから国道250号で兵庫県に進入。

赤穂市内の国道沿いで発見
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「赤穂玩具博物館」とありますが
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猛烈に悪ノリしてる感じがいいすね。

道の駅 あいおい白龍城にて
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白龍ペーロン という中国風ボートレースが毎年5月末の伝統行事になっているそうで、海上で太鼓やドラを鳴らして練習中でした。道の駅も中華テイスト。
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野菜やらホットスナックやら売っている中、メダカ5尾1,000円なり。涼しげな画が撮れました。
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国道250号の続きは「はりまシーサイドロード」と銘打ち、その名の通りの爽快な道でした。
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アップダウンと木もれ日が心地いい。
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途中の室津という漁港。
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江戸時代には西国大名の参勤交代上陸地として大いに栄えたとか。
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小さな湾に漁船がミッチリ集まっていてジオラマ風。
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さらに国道を進んで姫路に到着。ここらで昼食をば。
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大手前通り沿いにある蕎麦とおでんのお店『夢乃蕎麦』でかき揚げ蕎麦をいただきました。
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かき揚げはいわゆるさつま揚げに野菜が多めに入ったジューシーな味。実はこのお店、1階のかまぼこ屋さんの直営店らしく練り物メニューが充実しています。次回はおでん定食を食べよう。

加古川、明石を経て神戸へ。今回も最終目的地は野球場
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10日(土)日ハム‐オリックス
試合は5回まで0-0の投手戦ながら、6回裏に糸井の3ラン、ペーニャのソロが飛び出しオリックスがリード。
オリックス先発のディクソンは7回までノーヒットの好投。あわや大記録!とドキドキしましたが、代打の大谷にライト前へ運ばれて初ヒット。さらに四球も絡んで1失点。
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終わってみれば8-1の大勝。これで今年は3戦3勝! オリックス本当に強いなぁ

巡洋艦『海門』 [艦名ツーリング]

巡洋艦『海門』
竣工: 1884年8月13日
常備排水量: 1,381t
水線長: 64.3m
速力: 12kt
兵装: 17cm砲×1
     12cm砲×6
     ノルデンフェルド25mm4連装機関砲×4
     ノルデンフェルド11mm5連装機関砲×4
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明治期の日本海軍は、戦艦等の大型艦を外国(英国)に発注する一方で小型艦は国産化し造艦技術の発展を促そうとしました。『海門』は横須賀造船所で初めて造られた純国産の巡洋艦です。鉄骨木皮の建造には相当手間どったようで、起工から就役まで8年近くもかかっています。ちなみに進水に際しクス玉を飾り、ハトを飛ばすセレモニーを行ったのは本艦が世界で初めてだそうです。
資料によっては「コルベット」「スループ」「フリゲート」と表記がまちまちですが、砲戦能力を備え外洋航海可能な戦闘艦としては「巡洋艦」の呼称が最もしっくりくると思います。

日清戦争後に三等海防艦に類別され、日露戦争中の1904年7月2日に旅順港外で触雷し沈没。


由来となったのは薩摩半島南端に位置する開聞岳。
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標高は1,000mに満たないながらも、海上よりそそり立つ円錐形の山体は薩摩富士の名に相応しい美しさ。天気が優れなかったのが悔やまれます。




★艦船踏破実績
9隻 44,740t

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